今日は高校の時の後輩と大学の時の後輩に、それぞれ別個に出会う機会に恵まれた。
一人はFacebookで。
もう一人は思いもかけず面会で。。
勇気づけられる。
とてもパワーをもらった。
「後輩」という言葉をいちおう使ったけれど、としの差とかそういうことではないのだと思う。。
はるか昔に通っていた学校、実はどうでもいいと思っていた。社会人となって、勤め先は職場であると共に、いつもその時々の「学びの場」でもあった。それで今の自分が在る。
それでも「学校」をお世話になった職場と分けて考える理由があるとしたら、それは世間一般がそう考えているから。
と、責任転嫁するのではなくて、・・・・「感化」されやすい時期の同窓または「学び舎」はいつも共有できる何か温かいもの、言わなくても伝わる「共感」の世界がそこにある。
究極は家族だけど、それに準じる何か。何だろう?
社会に出てもそうした「場」をこしらえることができたら素晴らしいと思う。そうした場はいつも流動的でその場限りのものかも知れない。でもそうした「ライブ的なもの」に何か価値があるような気がする。それは自分力を高めることでしか実現し得るものではないのかも知れない。
学べよ、自分。
挑めよ、自分。
内なる力の宿り方は個別のものかも知れない。それでも願わくば、万人にその共感を抱ける、広い器を目指す自分で在りたい。
いつも研鑽の日々なり。