自分の中心を感じ取れたときに、掃除がしたくなるということ。

やらなければいけない仕事をしていると、突如と別のこれまで気がかりになっていたことを行いなくたくなる衝動に駆られたことはありませんか?

そういう時は本業を少し横に置いて、その突如と思い出した気がかりなことを手始めにやってみるのがいいです。単なる「逃避行動」とラベリングできないこともありませんが。。

気がかりなことを行わないといけない中で、突如と起こるその「別の行動」に駆られる衝動をもう少し観察してみると意外なことに気がつきます。

目前の「義務」を遂行するなかで、その人の心のなかに起きること。それは「自分の中心が見つかる」ということではないでしょうか。ベタな表現ですみません。

行なわなければならないことは、たいていは社会的な使命であったり、業務の遂行だったり、学生さんだったら提出しないといけないレポートだったりするかも知れません。そうした今しなければならない「義務」を、社会につながっている証しと捉えてみます。

社会とのつながりを感じて、安心・安堵の心理的な状況に包まれた時、自分の心の中でバランスを取ろうとする。「それをする」ことでその一種の「整理」を行おうとする。その心の中で行われるバランスを取ろうとする気持ち、整理をしていきたい生理的な欲求が、一見単なる「逃避行動」と片付けられてしまいがちな、冒頭の「別の行動」の正体なのではないでしょうか。

本題ですが、私は仕事をしていて、どうしても今やらねばならないことに直面してそれを手がようとしていると、突如と「掃除」をしたくなることがあります。炊事場に始まり、トイレ、廊下、玄関・・・・あらゆる所を掃除したくなり、時間が許せば掃除を始めてしまいます。

掃除することそのこと自体はたいへんな作業ではないかも知れません。難しいことではありませんし、さほど時間のかかることでもありません。でも気持ちの乗らないときは、どうもにわかに手をつけられません。ふだんの仕事や生活の中で「自分の中心が見つけられた」(という気持ちのコントロールが整えられた)ときに始めて、掃除をすることを楽しい作業として迎い入れる準備が整います。

心の整理が進むことで掃除がしたくなるのであれば、掃除をすることで心の整理も進むという発想もあります。部屋の状態はその人の心理状態、人格そのものを現しているとも聞きます。掃除による人格陶冶を唱っている学校もあります。

「掃除」そのものは、チームワークを育む試みとして、一つの「ワーク」を行う前の共同作業としてもよく行われたりします。早朝、業務の前に掃除を励行、義務化している企業・グループも枚挙にいとまがありません。

ライフワークバランスは今をときめくホットな話題です。生活と仕事は密接な関わりをもっていて、決して相入れないものではなく相補間的なことであり、ホームオフィス・サテライト・オフィスの意義に新たな視点を与えます。

「フロー」であること、その対象に一体となり至福のひとときを過ごすことは個人の成長に欠かせられません。生きるという視点から、仕事も生活ももっと自由であって構わないと思います。

企業・法人の業務効率・投資効果の視点からも、ライフワークバランスは広く取り上げられてきているテーマです。仕事スタイルにおいて、個人の意識のレベルでも考察を重ねていきたい貴重なテーマだと思っております。

以上、今朝の連続ツイートを編集したものを投稿しております。
http://twilog.org/Ghichi/date-100923

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